うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

好きになる力、別名「線の力」

実のところ、ぼくは音楽(アーティスト)を知らないし、詳しい人から勧められたものを聴いてみても、そこまでピンと来ない。

それを「音楽を聴くのがそこまで好きじゃないから」だと思って生きてきたけれど、そういうわけではないような気がしてきた今日この頃。

「点で聴いていた」のである。

予備知識なしに点で聴くことで、直感的に「好き」「嫌い」を見分けられるとは思う。

でも、それは第一印象で人の好き嫌いを決め、結論を出してしまうのと似ている。

第一印象の感覚を大事にすることを悪いとは思っていない(むしろぼくはそれを大切にしている)。

ただ、大切なことは、第一印象で終わらないことだと思う。

第一印象を仮説とし、検証のプロセスをたどること。 そうする中で、「意外と第一印象と違った」ということはよくあるものだ。

さて、音楽は(直接的な)人間関係ではないし、別に第一印象で決めてしまっても構わないと思う。 けれど、それでは第一印象止まりということになる。

浅瀬である。 繰り返すが、それが悪いわけではない。

ただ、浅瀬であるという事実を述べただけだ。

何かと出会うとき、その予備知識というのも大きい。

たとえば、「今度の合コンに女性が来るよ」と「今度の合コンに20代前半の女性が来るよ」では情報の質が異なる。

さらには「今度の合コンに20代代前半の女子大生が来るよ」なのか「今度の合コンに20代代前半のアパレル店員が来るよ」 なのか「今度の合コンに20代代前半のモデルが来るよ」なのか。

そうした事前の情報が、第一印象を歪める。

(人間関係ではこれはよくないことだとぼくは思っている。女子大生だろうが、アパレル店員だろうが、モデルだろうが、関係なく、その人そのものが素敵かどうかが大切なことは言うまでもないだろう)

音楽にはこの効果を利用したほうがよいと思うのである。

「なんかいい感じに聞こえたほうがよい」に決まっている。

不快な音楽より、気持ちのよい音楽を聴きたいではないか。 感動できない音楽より、感動できたほうがよいではないか。

そう考えると予備知識というのは大切で、同じ音を聴いてもそのストーリーが全く異なって来るのである。

そうした文脈を楽しむことで、なんでもない音が輝いて聴こえることもある。

音楽に限った話ではない。

「好きになれる」可能性はたくさん持っておいたほうがいいとぼくは思う。

いろんなことを好きになれる力は、持っておいて損はない。

殺伐とした気持ち、退屈な気持ち、疲弊した気持ちで過ごすよりも、輝いて見える世界に身を置いた方が楽しいではないか。

そんなことを思うと、社会の仕組みであるとか、歴史であるとか、一見関係のないようなことが相当に関係してくるのであって。

そうした線としての歴史観みたいなものは、 いつでもアップデートできる余白を残した上で持っておくとよいのではなかろうか。


「第34回 ゆるい言語活動のすゝめ」

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