うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

やる人はやるし、やらない人はやらない

格差といえども生まれた環境によって奪われたものばかりではありません。

いかにも!な大事を除けば、ほとんどの物事が後天的なものばかりでしょう。

自分の行ないです。

ぼくは高校時代、まったくといっていいほど勉強しませんでした。 何か制約があって、できなかったわけではありません。 遊びも恋もバイトもバンドも捨てて、やろうと思えばいくらでも勉強できたはずです。 別に塾なんか行かなくたって本気になればやれたと思うんです。 東大にだってきっと行けたでしょう。

でも、そうしなかった

当時、勉強の意義が見出せませんでした。 ただそれだけです。

つまらない授業を繰り広げる先生のせいにしてもしょうがないのです。 他人のせいにして何かが解決した試しがありません。

一方で、高校時代にロールモデルに出会う機会が乏しかったのは確かだと思います。 大学生すら見たことがありませんでした。

社会人の知り合いももちろんいません。 そんな調子ですから、仕事なんてお金以外の目的でやる意味が特に分かりません。だったら、楽して稼ぎたい。というか働きたくない。めんどくさい。僕の場合は、そういう路線に行ってしまいました。

分からないなりにお医者さんや学校の教師など、「先生」と呼ばれるタイプの人は無駄に威張っているなということだけは経験則からよく理解しました。 せいぜいそれぐらいです。

当時、将来像をイメージできなかったのは、そうした環境のせいでしょうか?
振り返ってみると、それはぼくがただ将来について考えたくなかっただけだと思います。

厳しいですか?

大人になって、福岡の田舎から福岡の中心部に移り住みました。色々あって最近は子どもたちと接する機会が増えています。 福岡市の子どもたちは(少なくとも、あの頃のぼくよりも)色々な大人を見る「機会」があるように思います。

それによって、彼らが社会を意識することにどれだけ役立っているかは計りようがありませんが、そういう機会があること自体は大変素晴らしいと思います。

では、こうした街の人だけが優遇されているのでしょうか。 ぼくは、別にそう思いません。 なぜなら、今は多くの人がインターネットにつながっています。 地方にいても色んな大人を観察したり、いくらでもハイレベルな学習を行なうことが可能です。

可能性そのものは一昔前より遥かに開かれているように思えます。

では、スーパーチルドレンが増えているのか。

そうでもないんじゃないかというのが正直なところです。

やる人はやるし、やらない人はやらない。

結局は、自分の意識だと思います。 意識がある人がやる、それだけだと思います。

そんなこんなで、子どもの意識をどうやって動かすか、大人は躍起になっているように思えます。

でも、子どもは結構大人です。 きっと思い通りにはならないでしょう。

大人として接したほうがお互いにとって色々と好都合です。

生まれた環境で奪われる可能性とは別に後天的なそれはそれで違う意味で色々と残念です。