うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

「ために」の押し売りが、今ぼくの中で社会問題になっている

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もしもあなたが「誰かのために」と言っているなら、ぼくはそんなあなたが嫌いです。

「誰かのためにやりたいと思っている自分の気持ちを満たすため」にやっていることを肝に銘じてほしいのです。

 

「誰かのために」なんていう言葉が出てくる時点で、認識がかなり毒されていると思います。

自分と他人の境界線がぼやけているということです。

 

念のために言っておくと、ここでいう「誰かのために」は、「君のために」や「家族のために」などといった言葉が入ります。

 

君を喜ばせたくて、君のためにバラの花束を送りました。

さて、君のためになったでしょうか。

君にバラの花束を送ったのが誰なのか、どういう文脈で渡されたかにもよるかもしれません。そもそも君自身、バラの花束なんて誰からのプレゼントであっても迷惑かもしれません(持ち帰るのも億劫だし、捨てにくいし、枯れたら精神的につらいし、など)。

あえて極端な例を出しましたが、ようはこういう「ために」の押し売りが世間ではごくごく当たり前に起こっています。

(ぼくとしては気が気じゃありません)

 

のためにやったことがのためになったかどうかはが判断するのです。」

 

ぼくがそう言うたびに、たいてい人以外の何かと間違えられます。

 

いわゆる愛っぽい場面ほど、自分と他人の境界線がぼやけがちです。

特に、子育て中の方の「子どものために感」は見ていて本当に耐え難いです。

子どものためになったかどうかは子どもが判断すればいいことですから、「ために」を押し付けるべきではないと思うのです。

もちろん、親はかわいい我が子のためにやっているのでしょう。

ですが、「子どものためにそうしたい自分の気持を満たすためにやっている」そういう感覚・認識を研ぎ澄ましていたいものです。

そうすれば、たとえ相手が思い通りにならなくたって、憤ったり、傷ついたりすることはないでしょう。

 

難しいことを言っているようですが、これは事実なのでどうしようもないです。

事実が難しい社会ということでしょうか。

確かにそうかもしれません。

でも、社会のせいにして終わるのは面白くありません。