うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

その後の決断のために様子を見るのであって、決断しない人間は様子を見ているのではなく、何も決めない自分を「様子を見る」という言葉で誤魔化しているだけ

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不満、ぼくはそれ自体はどうとも思いません。

不満は感情を伴うものですから、所詮は個人に委ねられた感覚です。

不満は、いやな感覚でもあるし、ときに人を突き動かす原動力にもなりえます。

いいとかわるいを文脈抜きに語れないです。

ただ、不満を言いながらも自分や環境を変えない人のことをどうしても信用できません。

 

そこから出るか、そこを変えるか、自分の解釈を変えるか。

 

何か壁にぶち当たったとき、ぼくたちには概ねその三択ぐらいしか選択肢がありません。

様子を見るというのもありますが、様子を見続けるなんていう選択肢はありません。

様子を見るというのは、選ぶためのタイミングの猶予であり、選んでいるとは言い難いです。

たまに、人生の多くの時間を様子見している人がいているような気がして、ひとりゾッとしています。

 

消費活動の場面において熱心に選んでいる人ほど、自分の人生の選択にまで手が回っていないように見えます。

人生は様子見しておいて、消費については今この瞬間を逃さないのです。

すごいです。

 

その後の決断のために様子を見るのであって、決断しない人間は様子を見ているのではなく、何も決めない自分を「様子を見る」という言葉で誤魔化しているだけなんだと思います。

いや、もしかしたら決めているのかもしれません。

ぼくには決めてないように見えるだけなのかもしれません。

「選ばないことを選んでいる」と言われたらもうそれまでです。

 

ぼくたち人類は、いろいろあり過ぎて分かり合えるはずがないのかもしれません。