うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

主観的に観ること、客観的に観ること

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主観的だとか、客観的だとかいうけれど、

世界には主観しかないんじゃないかと思ったりする。

 

客観的に観る。

それは「引いて観る」とか「自分の視点から離れて観るようなイメージ」がぼくにはあるんだけど、結局、自分から離れたような気になっているだけで、最後は自分で観ているんじゃないか。

それだけ他人の声を聞いたって、その声に自分の解釈が入る以上、最終的には自分色。

いろいろ混ぜてみても、最終的には主観でしかない。

 

レンズ変えてるけど本体は変わらないカメラみたいなもので。

撮れ方は変わるけども。

 

「客観」とは、

特定の認識作用や関心を越えた一般的にないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。

「客観的」とは、

個々の主観の恣意を離れて、普遍妥当性を持っているさま。

らしい。

(某辞書より引用)

 

「個々の主観の恣意を離れて、普遍妥当性を持っている」とは、どういうことなのか。

たとえば、1+1=2みたいな話なのだろうか(違うのか?まあ、よい)。

1+1=2だと思っている人が99.9%いたとしよう。

0.1%がそう思っていない(そう認識していない)としよう。

では、1+1=2が普遍妥当性を持っているのだろうか。

別に、その99.9%が普遍妥当性を持っていることにはならないのではないか。

ただの多数派なだけかもしれない。

多数派が正しいとは言い切れない。

たとえば、天動説時代に地動説を説くのは、多数派から見ればキ◯ガイ以外の何者でもないだろう。

実際、そうだったらしいではないか。

しかし、現代では地動説が支持されている。

(かといって、地動説も信じきってしまっているだけで実は天がまわっているかもよ?)

 

人間なんて最後の最後まで主観なのであって、主観なんてものは事実うんぬんではなく解釈でしかない。

おそらく、主観の反対は客観じゃない。

じゃあ何なのか。

これは今年の宿題とさせていただく。