うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

ゴミの山、宝の山、命の無駄遣い

f:id:uemizu:20160918013453j:plain

「命の無駄遣い」という言葉が頭をよぎった。

無駄について考えたくなった。

辞書を引いた。

 

「無駄」

 

しただけの効果や効用のないこと。役に立たないこと。また,そのさま。無益

 

「効果」

 

ある行為の,目的にかなった結果。ききめ。

 

 

「益」

 

人や世の中の役に立つこと。ためになること。

 

 

だそうだ。

ある行為の目的にかなった結果ということは、目的がなければ、それは…。

人や世の中のために立つことでないのだとしたら、それは…。

 

人間の大半は命の無駄遣いをしているように見える。

 

観察すると分かるが、人々の行為は無駄が多い(ように見える)。

僕の人生もまたその1つなのかもしれない。

 

そもそも、これは誰目線の話なのか。

観察者視点ではないか。

 

目的にかなった結果。

その目的は誰が設定し、その結果は誰が測定するのか。

世の中の役に立っているかどうか、誰が判断するのか。

 

おそらく、君であり、世界であり、僕である。

観察者の数だけ解釈がある。

 

そう考えると、ある人のゴミはある人の宝でもあるから、

ほとんどのものは到底処分できそうにない。

命の無駄遣いに思える隣の会話は僕にとっては無駄だとしても、

彼女らにとってはその行為は目的にかなった結果なのだろう。

 

世界はゴミ溜めであり、宝の山である。