うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

外的な刺激であり、きっかけでしかない

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僕がプレゼントをしたところで、相手が喜ぶか、困るか、どうでもよいか、嫌がるか、そんなことは相手が決めることである。

もちろん、相手が喜びそうなものをチョイスするセンスみたいなものはあるだろし、それによって得られる反応(感情)をある程度狙うことも可能だろう。

 

ただ、最後のところは、やっぱり相手が決めるのだ。

 

そんな当たり前のことをわざわざこうして書くのは、その逆が当たり前としてまかり通っているような世の中だから。

 

「してあげたのに」「頑張ったのに」と文句を垂れる人が結構多い。

知り合いには思い浮かばないが、カフェではしょっちゅう見かける。

(もしかして、カフェに問題があるのか?!)

 

いや、もっというと知り合いにいないこともない。

そういう人を知っていると思いたくなくて、記憶から消去しているだけだろう。

脳は自分にとって重要じゃないことは覚えられない、忘れる。

(むしろ認識できない)

 

とにかく、僕がどれだけ思いを込めて歌を歌っても、そんなものは外的な刺激であり、きっかけでしかない。

それによってどんな反応が起こるのか、そんなものは歌ってみないとわからない。

歌に限った話ではなくて、とにかくやってみないと分からないし、やったという事実しかそこにはない。

反応は相手が決めているのだから、1億人いれば厳密には1億通りの反応があるはずだ。

何らかの基準でカテゴライズして、確率を上げていかないと1億回試しているようでは、仕事にならない。

 

しかし、人生は別に仕事ではない。

1億回試せばいいではないか。

 

あまりにも、「こうしたらこうなる」というイメージを持ちすぎていないだろうか。

なるかならないかは、やらないと分からない。

 

トライ・アンド・エラー。

僕たちの行動は、世界に対する外的な刺激であり、ただのきっかけでしかない。