うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

「ノー」と言えずに巻き込まれる人、「イエス」と言って飛び込む人

f:id:uemizu:20160918014412j:plain

ある程度のなんらかの意思がなければ立ち入らないような場がある。

 

たとえば、フジロックフェスティバルに
「気付いたら参加していた」なんていうことは拉致でもされないかぎりありえないだろう。
「気付いたらジェットコースターに乗ってた」とか「気付いたらキャバクラにいました」なんていうこともそう。
結局のところ、この類のものは「ノー」と言えずに巻き込まれたか「イエス」と言って飛び込んだか、なのだ。
 
「ノー」と言えずに巻き込まれてばかりの人生は、なんて主体性がないんだろう。
主体性がないということは、もはや歯車と同義ではないのか。
 
たしかに「ノー」と言えずに巻き込まれたことで得られるぼた餅だってあるだろう。
しかし、そんなものは例外なのだ。
例外は続かない。
 
中には、棚ぼた狙いで「ノー」と言わない人もいる。
でも、それは厳密には「イエス」の立場の人間だ。
棚ぼたという目的をしっかりと掲げ、そこにいるのだから。
 
「ノー」と言えずに巻き込まれる人生か、「イエス」と言って飛び込む人生か、
そんな極端な二者択一だからこそ見えてくるものもあったりする。
自分はどっちだろうか。
もし、「ノー」のほうが多いとしたら、一体誰の人生を生きているんだろう?
そもそも、お人好しである必要はない。
もし必要だとしたら自分でそれをよしとしている場合ぐらい。
しかし、お人好しの多くは、お人好しでありたくないと思っていたりするのではないだろうか。
「ノー」と言えずに巻き込まれる人生か、「イエス」と言って飛び込む人生か。