うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

生きることそのものが、もはや賛否

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何かを発した途端、それは賛と否に分かれる。

(分かれないことも多々あるが、それは単に影響力が乏しいだけだろう)
「お盆には実家に帰るべきだ!」という人がいれば、きっと賛否分かれる。
実家に住んでいない限り(帰るも何もすでに居るということでなければ)賛否ある。
もしも、賛否がないのだとしたら、その人はもう存在していないに限りなく等しいのかもしれない。
理由が論理的に整合性が保たれているか、そんなことはこの場合どうでもいい。
「なんとなくそうだ」「なんとなく違う」そのレベル感でいえば、賛否あるはず。
なければ、やっぱり存在しているとは思えない。
お互いに何かメッセージを発しながら、共有できる部分を模索し合うのが人間関係なんだろう。
メッセージは必ずしも言語とは限らない。
(というより、言語以外のほうが圧倒的に多いのだが)
何かを発した途端、賛と否に分かれる。
賛も否もないとき、空気になる。
空気は存在しているが、存在を認識することは難しい。
存在が認識できる場合の僕たちは、もう賛否以外の何者でもなくて、
生きるということは賛否そのものであるのかも知れない。