うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

何年生きたかよりも、何年あやつられなかったかを生きる指標にしようと思う

f:id:uemizu:20160420224000p:plain

あやつり人形の人生はごめんだ。

 

あやつり人形の人生はごめんだ。

 

あやつられるぐらいなら早めに死んだって構わないさ。

 

あやつり人形の人生はごめんだ。

 

レールからはみ出したところで行きていける時代がもう間もなく。

近づいている。

近づいてきている。

 

レールの先にはもうレールがなくなってしまったこと、なんともうとっくに気付いてしまっている。

知らない人が少しだけかわいそう。

 

あやつり人形は、別のもっと高性能のあやつり人形に乗り換えられて、きっと捨てられるんだろう。

すごいあやつり人形がブルペンに控えている。

 

ああ、使い捨てのあやつり人形。

残念で仕方ない気もするし、一方でどんな世界が来るのかこの目で見てみたい。

あやつり人形の目ではなく、生きた人間の目で見たい。

 

壊れたらどうせ捨てられるんだろう。

明日には忘れられるんだろう。

どんな名前だったか、どんな役割だったか、というか、そんな人いたっけ?

 

あやつり人形の人生はごめんだ。

 

あやつられるぐらいなら早めに死んだって構わないさ。

  

分かった、

どうしても時間というものさしで計りたいのなら、

何年生きたかよりも、何年あやつられなかったかで計ろう。

むしろ、そのことを生きたということにしよう。

あやつられたのはさ、生きたんじゃなくて単純にあやつられただけなんだから。

そんなの生きたという評価に値しないんじゃないか。

もっとも、それは評価者があやつり人形でないという前提にはなるのだが。