うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

感情的な話より、論理的な話より、感覚的な話をしよう。

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ロジックの「ロ」の字もないヒトの話は、もはや動物の森。

「話」というより、「鳴き声」ではないのか。

 

僕は話がしたいのであって、鳴き声なんか聞きたくないのだ。

 

とはいえ、ロジックでしか考えられないヒトの話も退屈だ。

電子辞書に調べたい単語を入力する感じに似ている。

つまり、情報を摂るにはよいが、心は動かされない。

 

究極はロジックの向こう側にしか、「話」はないんじゃないか。

ロジカルな考えや話し方も当たり前にできるレベルがあった上での、感覚的な。

 

そう、感情でも、論理でもない、感覚的な話

 

なぜ、感覚的な話が究極なのか。

その理由は、一つ。

 

世界とは認識であり、認識とは感覚なのだ。

つまり、感覚的な話をするということはお互いの世界を行き来することなのだ。

世界一周する暇を使って、まるで世界のような人間と話したい。

 

少なくとも僕の中では、会話とはそういうものなのだ。

言い換えれば、それ以外は会話ではないし、もはや動物の鳴き声や電子辞書みたいなものだ。