うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

みくろんとまくろん

f:id:uemizu:20160420224000p:plain

僕たち人間はおおよそ2種類あって、それは「みくろん」と「まくろん」だったりするわけで。

「みくろん」は、よくもわるくも小さな日常を生き、「まくろん」はよくもわるくも意識は上空にある。

 

「みくろん」にとって「まくろん」の行動は大変不可解で、一貫性がなく、飽きっぽく見える。色んなことに手を出し過ぎているように見えて、いけ好かないことがある。小さな日常をコツコツ生きる「みくろん」にとって、一貫性は信用を計る大切な指標なのだ。

 

「まくろん」にとって「みくろん」の行動は大変不可解で、毎日が繰り返し、クリエイティビティが死んでるように見える。あまりにも目の前のことしか話さないため近視眼的に見えて、退屈なことがある。上空から世界を見おろす「まくろん」にとって、本質や真理は大切な価値基準なのだ。

 

「みくろん」も「まくろん」も同じ人間。

どっちも一生懸命生きている。

 

僕は「まくろん」が好きなのだけれど、「みくろん」が好きな人が当然いてもいい。

絶対的な優劣はなく、すべての評価はいつだって相対的だ。

状況によるのだから、「みくろん」であろうと「まくろん」であろうと輝ける瞬間がきっとある。

 

それにも関わらず、「みくろん」は「まくろん」を批判し、「まくろん」は「みくろん」を批判することが多々ある。

見えてる世界が違うのだから仕方がないことなのだ。

自他の区別がつかないうちは、お互い相手にしないほうがいい。

(80%ぐらいの人口が自他の区別がついていないように思う)

 

物理的には同じ空間にいるとしても認識が違うのだから、もはや別の世界線にいるといっても過言ではない。

 

「男」と「女」だとか、「若者」と「年長者」だとか、対比的に見られるこれらのものと並ぶ概念以上のものなのだ。

つまり、「みくろん」と「まくろん」は別の生き物なのだ。

いきものがかりはきっとこんなことは歌わないのだ。