うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

制約があるからこそ収まりがよいのではなかろうか

何かを生み出すとき制約がなければ、まるで気体のように掴めないモノが生まれがちだ。

そもそも生み出すという行為自体が掴めないモノなのかもしれないし、むしろそうあることを望む気持ちもあったりなかったりするわけだけれど、

第三者と共有するにあたっては、気体状態はあまりにも雑すぎるように思う。

 

あらゆる制約の中でベストを尽くすことで、

第三者的に理解できるものがつくられていくのではないか。

 

(自己の開放を目的とする場合を除けば)

制約無くして価値あるものなど生み出せないのではないか。

 

僕らは時々、でありたいがために尖って見せたり、芸術家ぶってみる。

それは大抵自分以外誰のためにもならないか、自分のためにすらならない。

(どうせぶるなら自分のためにぶるべきである)

 

人間は皆、ほんとうは芸術家なのかもしれないけれど、どうもこの社会では実利が求められるようだ。

実利に反するものはウケない。

(ウケないから実利に反しているとも言えるが)

 

ある程度はウケないと生きていけない社会、どうもこれは確からしい。

スベっている人は基本的に肩身が狭い

「ウケる」というのは第三者の評価であるから、第三者にある程度評価されないと肩身が狭い。

 

僕は、「ウケる」ための秘儀を知らない。

それでも、ただ1つ分かっているのは、自分1人でつくったものは第三者にとっては概ね分かりづらい。

 

実利とやらを必要とするなら、制約と親友にならなければならない。