うえみずゆうき脳内議事録

うえみずゆうきのブログ。思ってもいない本音など。

無意味な世界で

一人一人の捉え方で物事の意味は変わる。

まさに捉え方によってはそれを個性と呼ぶこともできる。

さて、
一体この「捉え方」というのはどのように決まるのか。


俯瞰的な視点の度合いで決まるのだと僕は考えている。


俯瞰的に見たときには、
「そもそも」の部分に立ち返ることができる。
俯瞰的であるほど、より深い(高い)部分の「そもそも」に辿り着ける。
より抽象的な概念になる。


世間には、本質を欠いた的外れな議論があまりにも多いように思う。
(社会問題のような大きな枠組みのこともあれば、家庭などの小さな枠組みでのことも含む)

「そもそも」の部分に立ち返れない(その存在に気付けもしない)絶対的価値観の持ち主とは、
建設的な議論になりようがない。

いがみ合うのは、少なくともどちらかがどちらかをコントロールしようという意思が働いているからだろう。
何らかの絶対的な価値観に基づいて。


僕たちは絶対的な答えのない世界で、仮の答えを目印にして生きている。

これは、国数理英社よりも知っておかなければならないことだ。


世界は雲のようなもの。
その掴めない雲を
何とか掴めるように(掴んだような気になれるように)
便宜上、仮の答え(役割)を与えているということだ。

名前をつけ、意味をつけ、
自分と対象との位置関係をかろうじて認識できているのだ。

意味や答えは、位置を確認するための便宜上のものに過ぎないのだ。

それらは、絶対的な真理を説いているわけではない。


すべては仮の存在である。


とことん俯瞰的に見れば、
すべてが仮であることにきっと気付けるはずだ。

意味など持たない物体や現象に、
名前や意味をつけて、
無意味な世界に意味を与えているだけなのだ。


難しい話になってしまったが、
難しく考える必要はない。


自分の頭でよく考え、
他人の考えを知った上で、
さらに自分の頭でよく考えたものは、
あなたの中の暫定的な世界の真理である。


毎日、訂正しながら進もう。